インターネット以前の「ネット」

日本で「パソコン通信」と呼ばれたものは、パソコンやワープロ専用機を、モデムと電話回線を使ってホストコンピュータへ接続し、文字を中心とする情報サービスを利用する仕組みだった。

パソコン/ワープロ
                ↓
        通信ソフト
                ↓
        モデム
                ↓
        電話回線・ISDN
                ↓
        アクセスポイント
                ↓
        事業者のホストコンピュータ

利用者はネットワーク全体へ接続したのではない。

まず、NIFTY-Serve、PC-VAN、ASCII-NET、ASAHIパソコンネットなど、特定のサービスの中へログインした。

そこで使えるメール、会議室、チャット、データベース、ソフトウェアライブラリは、そのサービスのホスト内部に用意されたものだった。

パソコン通信では、ネットワークへ接続することは、巨大な一台のコンピュータの中へ入ることだった。

パソコン通信は、インターネットではない

現在のインターネットでは、多数の独立したネットワークとサーバーが、共通の通信規約によって接続される。

パソコン通信は、基本的に一つのサービスごとに閉じたホスト型システムだった。

パソコン通信
        利用者 → 特定事業者のホスト → ホスト内のサービス
        
        インターネット
        利用者 → 接続事業者 → 相互接続された多数のネットワーク

NIFTY-Serveの会員IDは、そのままPC-VANの会員IDにはならない。

一方のフォーラムやメールは、原則としてもう一方から直接利用できなかった。

別のサービスへ移るには、いったん切断し、別の電話番号へかけ直し、別のIDでログインする必要があった。

後にはメールゲートウェイやインターネットとの相互接続が作られたが、それは最初から共通規格でつながっていたのではない。

異なる閉じた世界のあいだに、後から橋を架けたものだった。

草の根BBSとの違い

日本語の「パソコン通信」は、広い意味では草の根BBSも含む。

ただし、文化と規模を整理するため、当サイトでは次のように区別する。

草の根BBS
        個人や小規模団体が、自宅や事務所のパソコンと電話回線で運営する
        
        商用パソコン通信
        企業がデータセンターと多数のアクセスポイントを用意し、全国規模で運営する
        
        インターネット
        独立したネットワーク同士を共通規約で相互接続する

草の根BBSでは、SYSOPの生活、一台のホスト、数本の電話回線が、そのまま共同体の大きさになった。

商用パソコン通信では、大型ホストと全国のアクセスポイントの中に、数多くの小共同体――フォーラム、SIG、会議室――が作られた。

草の根BBSが一台のパソコンを町にしたなら、商用パソコン通信は一台の巨大ホストの内部に多数の町を作った。

接続するまで

パソコン通信を始めるには、次のものが必要だった。

  • パソコンまたは通信機能を持つワープロ専用機
  • モデムまたは音響カプラ
  • 電話回線
  • 通信ソフト
  • サービスのアクセスポイント電話番号
  • 会員ID
  • パスワード

通信ソフトへ、通信速度、データ長、パリティ、ストップビット、フロー制御などを設定する。

モデムへ電話番号を渡すと、ダイヤル音、呼出音、相手側モデムの応答音が聞こえる。

接続後、文字だけのログイン画面が現れる。

DIAL
          ↓
        CONNECT
          ↓
        ID
          ↓
        PASSWORD
          ↓
        MENU / COMMAND

現在のWebブラウザは、HTML、画像、Cookie、証明書、DNSなど多くの処理を隠している。

パソコン通信では、利用者が接続状態と文字の往復を直接感じられた。

回線が切れれば、画面も止まった。

IDは、ネットワーク内の身分だった

多くのサービスでは、会員登録時に英数字のIDが発行された。

IDは、メールアドレスであり、発言者名であり、課金先であり、ネットワーク内の身分証でもあった。

利用権
        発言者の識別
        メールの宛先
        利用料金の記録
        規約違反時の処分
        
        一つのIDへ集まる

ハンドル名を別に使える場所もあったが、事業者側では会員契約とIDが結び付いていた。

匿名に見える発言も、完全に無所属の言葉ではなかった。

この構造は、後のWeb掲示板やSNSより、会員制クラブに近い。

メニューとコマンドで歩く

WebにはURLとリンクがある。

パソコン通信には、メニュー番号とコマンドがあった。

サービスによっては、目的地を示す短い文字列を入力して移動した。

NIFTY-Serveでは、GOに続けてフォーラムやサービスの識別名を入力する操作が象徴的だった。

一覧を見る
        番号を選ぶ
        GOコマンドを入力する
        会議室へ入る
        発言番号を指定して読む

空間は画面上の地図として見えない。

利用者は、フォーラム名、会議室番号、コマンド、ショートカットを覚え、巨大ホストの内部を歩いた。

パソコン通信の地理は、リンクではなく、名称とコマンドを記憶することで身体化された。

電子会議室――時間差で続く会話

パソコン通信の中心は、電子メールだけではなかった。

多くの利用者を引き付けたのは、電子会議室、掲示板、フォーラム、SIGと呼ばれる共同体だった。

一つの主題の下に、複数の会議室が置かれる。

  • パソコン機種別の技術情報
  • プログラミング
  • UNIX
  • 医療
  • 法律
  • 文学
  • 現代思想
  • 音楽
  • 鉄道
  • アニメ
  • ゲーム
  • 地域情報
  • 家事や育児

利用者は、過去の発言を番号順に読み、引用し、返答した。

同じ時間に接続していなくても、会話が何日、何か月、何年も続いた。

現在のSNSにも返信とスレッドはある。

しかしパソコン通信の会議室では、一つの場所へ繰り返し通い、同じ参加者の長い履歴を読むことが共同体の基本だった。

フォーラムは、小さな自治体だった

NIFTY-Serveでは、特定分野の掲示板、会議室、チャット、データライブラリをまとめた空間がFORUMと呼ばれた。

そこにはSYSOPやスタッフがいた。

  • 会議室を設計する
  • 話題を整理する
  • 新規参加者を案内する
  • ファイルを検査・登録する
  • 荒らしや対立へ対応する
  • 規約違反の発言を削除する
  • オフラインミーティングを企画する

事業者は巨大な基盤を提供したが、個々の共同体の日常的な統治は、フォーラム運営者へ委ねられた。

商用パソコン通信は中央集権的な巨大ホストでありながら、その内部に多数の半自治的共同体を抱えていた。

この運営構造は、後の掲示板管理人、コミュニティモデレーター、プラットフォーム運営へつながる。

名誉毀損発言とSYSOPの対応をめぐるニフティサーブ事件は、オンライン共同体の管理者が、どこまで発言へ責任を負うのかを日本社会が早くから問うことになった例でもある。

電子メールは、最初から世界へ届かなかった

パソコン通信のメールは、当初、同じサービスの会員同士で交換するものだった。

NIFTY-Serve内メール
        = NIFTY-Serve会員間
        
        PC-VAN内メール
        = PC-VAN会員間

別のサービスへ送るには、相互接続のための個別の仕組みが必要だった。

これは、現在の電子メールと大きく異なる。

現在は、異なる事業者のメールサーバーが標準化された規約でやり取りする。

パソコン通信では、サービスそのものがメール世界の境界だった。

1992年、WIDEプロジェクトとPC-VAN、NIFTY-Serveの間でインターネット相互接続実験が始まった。

閉じた商用ホストの利用者が、インターネット側の電子メールへ届くための橋が作られ始めた。

ファイルライブラリ――ソフトウェアが人から人へ渡る

パソコン通信には、多数のソフトウェアやデータが蓄積された。

  • フリーソフト
  • PDS
  • シェアウェア
  • デバイスドライバ
  • 修正パッチ
  • 通信ソフト
  • 画像
  • MIDIデータ
  • 文書
  • ゲーム

作者自身がファイルを登録し、利用者の質問へ答え、更新版を配布した。

ソフトウェアは店頭の商品だけではなくなった。

ネットワーク上で公開し、反応を受け、改良し、再配布できるものになった。

NIFTY-Serveには、趣味で作られたソフトを無料配布したり、シェアウェアとして課金したりする文化が育った。

パソコン通信は、日本の個人ソフトウェア開発者に、配布場所、利用者、評判、収入を同時に与えた。

現在のアプリストア、GitHub、オンラインマーケット以前に、ネットワークを介した個人開発ソフトの市場が存在していた。

データベースと情報サービス

パソコン通信は、人と話すためだけのものではなかった。

ニュース、天気、株価、企業情報、新聞記事、法律、書誌、旅行、航空券、商品情報など、多様なデータベースへ接続できた。

Web検索以前、情報へ到達するには、サービス内のメニューと検索コマンドを使った。

検索結果の量、表示時間、データベース利用料が、そのまま請求へ反映される場合もあった。

情報は無料で広く公開されたページではなく、接続時間と検索料金を払って引き出す資源だった。

電話料金とサービス料金

利用には、少なくとも二種類の料金がかかった。

電話会社へ払う通話料
                +
        パソコン通信事業者へ払う利用料

サービスによって、月額料金、接続時間に応じた料金、特定データベースの追加料金などがあった。

さらに、遠いアクセスポイントへ電話すれば通話料も増えた。

事業者は全国各地にアクセスポイントを設け、利用者が近距離料金で接続できるようにした。

利用者は、文章をオンラインでゆっくり推敲せず、ログをまとめて取得し、切断後に読む。

返事をオフラインで書き、再接続して短時間で送る。

通信ソフトの自動巡回、ログ保存、マクロ、オートパイロットは、電話料金を抑えるための実用技術だった。

夜に集まるネットワーク

1995年に始まったNTTのテレホーダイは、指定した電話番号への23時から翌朝8時までの通話を定額化した。

草の根BBSだけでなく、パソコン通信やダイヤルアップインターネットの生活時間を夜へ寄せた。

23時前
        接続を待つ
        
        23時
        一斉にダイヤルする
        
        深夜
        会議室を巡回する
        ファイルを取得する
        チャットする
        
        朝8時前
        切断する

ネットワークは24時間存在していたが、家庭利用者の活動には電話料金が作る潮の満ち引きがあった。

NIFTY-Serve

NIFTY-Serveは、エヌ・アイ・エフが米国CompuServeの技術と運用経験を取り入れ、1987年4月に始めたパソコン通信サービスだった。

入会キットは、パソコンやモデムへ同梱され、書店や家電量販店でも販売された。

利用者はオンラインでクレジットカードを登録し、その場で加入できた。

フォーラム、電子メール、チャット、データライブラリ、情報検索などを備え、日本を代表する商用パソコン通信へ成長した。

フォーラム名やGOコマンドは、単なる機能名ではなく、利用者の所属と記憶の単位になった。

NIFTY-ServeのTTY型パソコン通信サービスは、インターネットへの移行後も残り、2006年3月31日に終了した。

接続を続けた利用者たちは、最後の瞬間までログインし、サービスの終了を画面上で見届けた。

PC-VAN

PC-VANは、NECが1986年に始めたパソコン通信サービスだった。

NIFTY-Serveと並ぶ大規模サービスとして、電子メール、掲示板、SIG、データベース、ソフトウェア配布などを提供した。

1990年代にはインターネット接続サービスと統合され、1996年に始まったBIGLOBEへ継承された。

PC-VANのパソコン通信機能は2001年に終了したが、会員IDやメールなどの一部はインターネットサービスへ移された。

これは、閉じたホスト型サービスが消滅したというより、利用者、ID、コンテンツ、課金関係を抱えたままインターネット事業へ形を変えた例である。

ASCII-NETと雑誌文化

ASCII-NETは、コンピュータ雑誌とパソコン通信が近接していた時代を象徴する。

雑誌記事を読んだ利用者がネットへ入り、編集者、執筆者、開発者、読者と直接やり取りする。

ネットで得た情報や議論が、再び雑誌記事になる。

紙の雑誌
            ↓
        パソコン通信
            ↓
        読者・作者・編集者の対話
            ↓
        次の紙面

雑誌は情報を一方向に配る媒体ではなく、自分の周囲に電子的な読者共同体を持ち始めた。

パソコン通信を扱う専門誌、入門書、フォーラム案内、コマンド一覧、アクセス番号表は、ネットワークへ入るための紙のインターフェースでもあった。

商用サービスなのに、濃い共同体ができた

全国規模の企業サービスは、草の根BBSより匿名的で均質に見える。

しかし実際には、フォーラムやSIGごとに濃い文化が生まれた。

  • 常連の発言者
  • 詳細なFAQを書く人
  • 初心者へ答える人
  • ソフトウェア作者
  • 運営スタッフ
  • 議論を仕切る人
  • オフ会を企画する人
  • 対立し、退会する人

利用者はサービス全体へ所属するだけでなく、特定の会議室へ帰属した。

巨大ホストは一つでも、その内部には互いにほとんど交わらない複数の社会があった。

パソコン通信は、中央に巨大な計算機を置きながら、文化的には多数の小共同体へ分裂していた。

記録が残りにくい

パソコン通信の多くは、現在のWebから直接参照できない。

  • 会議室ログ
  • ローカルメール
  • チャット記録
  • ファイルライブラリ
  • フォーラム案内
  • 入会キット
  • アクセスポイント一覧
  • 通信ソフトの設定
  • SYSOPの運営記録
  • オフラインミーティングの写真

これらは事業者のホスト内にあり、サービス終了とともにアクセス経路を失った。

WebページならURLを保存できる。

ホスト内の会議室は、ログイン資格、コマンド体系、表示プログラム、課金システムごと失われる。

個人が保存したログ、雑誌の画面写真、書籍の操作説明、退会前に取得したファイルが、断片的な一次資料になる。

インターネットへの移行

パソコン通信とインターネットは、単純に前者が古く、後者が新しいというだけではない。

1990年代には両者が並存し、ゲートウェイを通じて接続され、やがてサービス運営会社がISPへ変わっていった。

閉じたホスト型サービス
                ↓
        電子メール相互接続
                ↓
        インターネット接続機能
                ↓
        Webサービスとの併存
                ↓
        ISP・ポータルへ移行

1992年9月、WIDEとPC-VAN、NIFTY-Serveの相互接続実験が始まった。

1996年前後には、NIFTY-Serveを運営するニフティがインターネット接続を開始し、NECはPC-VANとインターネットサービスをBIGLOBEへ統合した。

利用者は同じ企業、同じID、同じコミュニティを使いながら、接続先の構造だけを少しずつ変えていった。

パソコン通信は、ある日突然インターネットに敗れて消えたのではない。

その利用者、運営者、フォーラム文化、ソフトウェア流通、課金モデルの多くが、WebとISPの内部へ移植された。

phreakingとの接点

パソコン通信はphreakingではない。

だが、電話網を単なる音声通話のための設備から、コンピュータへ入る通信基盤へ変えた。

  • 電話番号をアクセスポイントとして使う
  • モデム音から接続状態を知る
  • 話中、切断、ノイズ、速度低下を経験する
  • 市外局番と料金区域が接続先を決める
  • 回線の向こうに人ではなくホストコンピュータを置く
  • 文字コマンドで遠隔システムを操作する

phreakerが電話網の内部言語を読み取ったとすれば、パソコン通信の利用者は、電話網を通路として、その先にある別の巨大な情報システムへ入った。

電話網
        = 接続を運ぶ基盤
        
        パソコン通信ホスト
        = 認証、会議、メール、ファイル、課金を行う情報世界

受話器の向こうに声があるという前提は、モデムの交信音によって崩れた。

電話番号は、人の居場所だけでなく、コンピュータ社会の入口を示すものになった。

この標本が示す境界

パソコン通信は、現在のSNSやWebサービスの未完成版ではない。

そこには、現在とは異なるネットワークの形があった。

  • 一つのサービスが一つの閉じた世界だった
  • IDが身分、宛先、課金先を兼ねた
  • URLではなくコマンドとメニューで移動した
  • 電話料金が滞在時間を決めた
  • 巨大ホストの内部に多数の自治的共同体があった
  • ソフトウェア作者と利用者が同じ会議室で出会った
  • 異なるサービス間の接続は、後から個別に作られた
  • サービス終了は、ページではなく世界全体の閉鎖だった

インターネットは、多数のネットワークをつないだ。

パソコン通信は、その前に、コンピュータの中へ社会を作り、家庭の電話回線からそこへ通えることを示した。

パソコン通信とは、電話をかけて情報を見る仕組みではない。一つの巨大ホストへログインし、その内部で人、知識、ソフトウェア、規則、市場が暮らしていた時代である。

関連標本

資料・出典