「危険文書」という棚

「危険文書」は、厳密に定義された出版ジャンルではない。

私の記憶にあるのは、BBS、Usenet、FTP、個人サイト、CD-ROM、フロッピー、MO、ZIPやLZHの圧縮ファイルを通じて流通していた、普通の書店や取扱説明書では出会わない知識を集めたテキスト群である。

内容は一様ではなかった。

サーバーや電話網の穴
        ソフトウェアのクラック
        コピー・プロテクトやドングルの解除
        ウイルスの構造と作成
        偽造、詐欺、侵入、盗聴
        薬物、武器、爆発物
        政治的地下文書
        犯罪史、事件資料、怪文書

合法なリバースエンジニアリングの解説、すでに無効になった古い裏技、単なる都市伝説、実行すれば人を傷つける手順が、同じディレクトリへ並んでいた。

危険文書とは、危険性によって選別された文書というより、通常の知識流通から外れたものを一つの袋へ入れた呼び名だった。

一冊ではなく、何百ファイルものパック

印象に残っているのは、一つの有名な本ではない。

何百本もの.txt.doc.nfo、HTML、PDFを集めた圧縮ファイルが、各所へ丸ごと置かれていたことである。

危険文書集
        ├─ HACK/
        ├─ PHREAK/
        ├─ CRACK/
        ├─ VIRUS/
        ├─ ANARCHY/
        ├─ BOMB/
        ├─ DRUG/
        ├─ FRAUD/
        ├─ LOCK/
        ├─ MANUAL/
        └─ JAPANESE/

実際の分類名は配布者ごとに違った。重複、誤記、改変、機種依存文字、文字化けも多かった。

典型的な特徴は次のとおりだった。

  • 原著者や初出が分からない
  • 同じ文書が複数のファイル名で入っている
  • 英語原文と無断翻訳らしい日本語版が混在する
  • 一部だけ切り取られた版がある
  • 「教育目的」「実行は自己責任」などの免責文が付く
  • ASCII artの表紙、ハンドルネーム、BBS名が残る
  • 文書の作成年とZIPの作成年が大きく異なる
  • 古い手法と当時現役の手法が区別されていない
  • 技術的に正しい情報と、危険なデマが同じ権威で並ぶ

TEXTFILES.COMを運営するJason Scottは、当時のtextfileを、BBSからBBSへ、利用者から利用者へ移されるものとして説明している。

“transferred from BBS to BBS and user to user”

圧縮パックは、その移動を一件ずつではなく、図書館ごと複製する方法にした。

BBSのファイル・ライブラリ

1990年代のBBSには、掲示板やチャットだけでなく、ファイル・ライブラリがあった。

TEXTFILES.COMのBBS一覧に残るAnarchy Onlineの紹介では、コンピュータ・ハッキング、電話phreaking、偽造ID、詐欺、錠前、監視、薬物、武器、爆発物などが同じカテゴリ群として案内されている。

また、別のBBSの回想には、ファイル・ライブラリの目玉としてPhrack、The Anarchist Cookbook、ゲーム、Windowsのインストール媒体が並んでいたと記録されている。

ここでは、技術資料、違法コピー、危険な手引き、普通のソフトウェアが、同じ「ダウンロードできるファイル」として平らに並んだ。

公的資料
        個人の研究メモ
        雑誌の転載
        地下出版物
        誤情報
        犯罪手順
        ゲーム
        フリーソフト
        
        すべてがファイル一覧の一行になる

内容の重さは違っても、端末画面上ではファイル名と容量しか見えない。

ファイル一覧は、知識の社会的な距離を一度平らにした。

具体例――サーバー、電話網、クラック

Phrack

1985年に始まったASCII形式の電子雑誌Phrackは、phreaking、ハッキング、システム、脆弱性、セキュリティ、地下文化を号単位のtextfileとして配布した。

一号が複数のファイルに分かれ、各記事には号数とファイル番号が付いた。現在も公式アーカイブには、第1号から近年の号までがテキストとPDFで並んでいる。

Phrackは、雑多な危険文書パックそのものではない。編集、号、著者、記事構成を持ったe-zineである。

ただし、Phrackの記事が個別ファイルとして抜き出され、別のBBS、FTP、文書集へ再収録されることで、出典を失った「ハッキング文書」の一部にもなった。

サーバーとネットワークの穴

危険文書集には、OS、ネットワーク・サービス、電話交換、PBX、パスワード、認証、Webサーバーなどを扱う文書が入っていた。

内容の幅は大きい。

  • 用語解説や通信プロトコルの説明
  • 既知の脆弱性の解説
  • 事件や侵入事例の回想
  • セキュリティ勧告の転載
  • パスワード管理や防御の助言
  • 実在システムを対象にした侵入手順
  • すでに修正済みの古い方法
  • 最初から動かない架空の手口

当サイトでは、歴史的な存在と題名は記録するが、現行システムへ適用できる侵入手順、コマンド列、認証情報、再現用コードは転載しない。

具体例――ソフトウェア・クラックとドングル

1990年代後半には、Fraviaのサイトと+HCU: Academy of Reverse Engineeringが、ソフトウェアの解析、試用期限、コピー防止、パッカー、デバッガ、CD-ROM判定、ドングルなどを扱う大量のエッセイを公開した。

入口ページは、自らを次のように掲げていた。

“More than 300 Reverse engineering essays”

分類には、Project 3: Dongles crackingも置かれていた。

ここで扱われたのは、単なるシリアル番号一覧だけではない。

プログラムを逆アセンブルする
        処理の分岐を追う
        保護機構が何を確認しているか読む
        ソフトウェア側とハードウェア側の境界を見る

ドングルは、ソフトウェアの使用権を物理的な小装置へ結び付ける仕組みだった。

そのため解除文書は、「小さな部品を外す方法」ではなく、プログラムが外部装置の存在をどう確認し、その応答を何として信用しているかを読む文書になった。

これは、当サイトの中心にある問いへ直接つながる。

機械は、何を本物の許可として信用しているのか。

当サイトでは、特定製品を無断使用するためのパッチ位置、改変バイト列、デバッガ操作、ドングル・エミュレーション手順は掲載しない。

具体例――ウイルスを説明し、作らせる文書

The Little Black Book of Computer Viruses

Mark A. LudwigによるThe Little Black Book of Computer Virusesは1991年に刊行された。書誌上はコンピュータ・ウイルスを扱う技術書で、目次にはウイルスの基礎と、具体的な感染プログラムを扱う章が並んでいる。

研究、教育、自己複製プログラムへの関心を掲げながら、実働コードを含むことから強い論争を呼んだ。

Virus Creation Laboratory

1992年には、Virus Creation Laboratory、略してVCLが公開された。これは、利用者がメニューから条件を選び、DOS向けウイルスのソース等を生成する初期のコンストラクション・キットだった。

重要なのは、ウイルス作成の知識が、文章を読んでアセンブリ言語を書く段階から、選択肢を選んで生成する段階へ移ったことである。

技術文書を読む
              ↓
        コードを理解して書く
              ↓
        キットの項目を選ぶ
              ↓
        生成されたものを配布する

この変化は、現在のcrime-as-a-serviceへ続く早い形にも見える。

当サイトでは、マルウェアのソースコード、生成設定、感染方法、回避機能、配布方法は引用しない。名前、年代、流通形態、社会的意味だけを記録する。

具体例――爆発物・武器・犯罪のcookbook

英語圏の危険文書集には、次のような題名が繰り返し現れた。

  • The Anarchist Cookbook
  • Jolly Roger's Cookbook
  • The Terrorist's Handbook
  • The Big Book of Mischief
  • Anarchy Cookbookと名付けられた各種編集版
  • 軍用・政府用マニュアルを抜粋、再編集した文書

これらは同一の著者・同一の版ではない。

有名な印刷本をテキスト化したもの、複数のBBS文書を寄せ集めたもの、題名だけを借りた別物、旧版へ追記したものが混ざっている。

米国議会の公聴会資料にも、Anarchist's CookbookHomemade WeaponsAnarchy Cookbook IVTerrorist's Handbookなどの名称が、オンラインで流通する爆発物関連文書の例として記録されている。

ただし、内容の正確性は保証されない。

誤った薬品名、危険な分量、成立しない装置、別文書からの無批判な転載もあり得る。危険文書は「秘密の正解集」ではなく、真偽を判定できない者ほど危険になる文書群でもあった。

当サイトでは、材料、比率、構造、起爆方法、製造工程、隠匿方法など、実行可能な部分は引用・要約・リンクしない。

日本語の危険文書

日本語圏にも、独自に書かれた文書、英語から翻訳された文書、雑誌や本から入力された文書があった。

題材には次のようなものが混ざっていた。

  • パソコン・ソフトのプロテクト解除
  • ゲームのコピーや改造
  • 電話、テレホンカード、PBX
  • パスワード、通信、サーバー
  • ウイルス、いたずらプログラム
  • ピッキング、偽造、詐欺
  • 薬物や爆発物に関する海外文書の翻訳
  • 政治的地下出版物の再入力・スキャン

翻訳者名も出典もない日本語文書では、原文の誤りに翻訳ミスが重なることがあった。

『腹腹時計』の再流通

『腹腹時計』はインターネット以前に成立した日本語の地下出版物である。

国立国会図書館には、東アジア反日武装戦線KF部隊(準)を出版者とする1979年のvol. 2特別号1特別号2などが書誌登録されている。

紙の地下出版物だったものが、後にコピー、再版、スキャン、テキスト入力を通じてデジタル文書集へ混入することで、発行時代とは異なる読者へ届いた。

ここで重要なのは、文書内容を再掲することではない。

紙の地下出版物
              ↓
        複写・再版
              ↓
        スキャン/手入力
              ↓
        BBS・FTP・Web
              ↓
        危険文書パックへ再収録

インターネットは、新しい危険文書を生んだだけでなく、過去の禁制知識を時代から切り離して再流通させた

TOTSE――巨大なtextfile配布所

& the Temple of the Screaming Electron、略してTOTSEは、1989年からダイヤルアップBBSとして運営され、後にWebへ移行した。

運営者自身の説明では、textfileアーカイブは5万ファイルを超え、BBS時代には世界最大級のtextfile配布BBSと見なされていた。

TOTSEのFAQは、このサイトがハッカー、ソフトウェア海賊、アナーキストの「悪い場所」だと思われる理由を、そうした題材の文書が置かれているためだと説明している。同時に、政治、思想、物語、技術など、さらに広い文章群も収録していた。

危険文書は、隔離された一棚だけにあったのではない。

巨大な雑文庫の中で、政治論、SF、実用知識、犯罪手順、冗談が隣り合っていた。

TEXTFILES.COM――危険性を消さずに歴史化する

TEXTFILES.COMは、1980年代を中心とするBBS由来のASCII文書を保存するアーカイブである。米国議会図書館も、BBS世界と各種サブカルチャーの歴史を伝える数千のASCIIファイルを保存するサイトとしてWeb Archiveへ収録している。

同サイトの古い分類には、AnarchyHackPhreakVirusなどがある。

Virusディレクトリの索引には、個別ファイルだけでなく、ディレクトリ全体をZIPまたはtar.gzで取得できる案内が残っている。

“the entire directory conveniently archived and compressed into one file”

これは、私が覚えている「何百ファイルものパック」と同じ構造である。

保存行為は、内容への賛同とは別である。

危険な文書を消さずに残すことは、当時何が流通し、何が信じられ、何が恐れられたかを検証可能にする。一方、無差別に再配布すれば、現在も有効な危害手段を増幅する可能性がある。

保存と再武装は同じではない。だが、境界はファイルを置くだけでは作れない。

今ではダークウェブへ潜ったのか

全部がダークウェブへ移ったわけではない。

歴史的な危険文書の多くは、現在も通常のWebから到達できる。

  • TEXTFILES.COMとそのミラー
  • Phrack公式アーカイブ
  • TOTSEの保存版
  • Internet Archiveや図書館のWeb Archive
  • 古い個人サイトのミラー
  • GitHub等へ再収録された歴史資料

つまり、古い文書は地上に残った

一方、現在進行形の犯罪的な知識流通は、静的な.txtパックだけではない。

Europolは近年のサイバー犯罪を、地下フォーラム、clear webとdark web、暗号化通信、マーケット、malware-as-a-service、盗まれたアクセスやデータの売買が組み合わさる分散した生態系として描いている。摘発でサイトの寿命が短くなり、集団が分裂・改名する傾向も指摘されている。

以前
        文書を読む → 自分で試す
        
        現在
        ツールを買う
        アクセス権を買う
        マルウェアを借りる
        サービスとして依頼する
        暗号化チャネルで支援を受ける

したがって、変化は「表のWebからダークウェブへ移った」だけではない。

危険な知識は、文書から商品へ、商品からサービスへ変わった。

古い危険文書パックは、知識を持つこと自体が力だった時代の標本である。現在の地下市場では、知識を理解しなくても、他人の能力を購入できる。

私の記憶

私が覚えているのは、特定の一ファイルよりも、圧縮ファイルを開いたときの一覧である。

何百もの文書名が並んでいた。

サーバーの穴、電話、クラック、ウイルス、ドングル、爆弾、薬物、偽造、政治文書。英語のものが中心だが、日本語訳や日本独自の文書も混ざっていた。

全部を読んだわけではない。

むしろ、手元へ持ってきたことで、世界の表側にはない知識へ接続したように感じていた。

まだ読んでいない
        理解できない
        本物か分からない
        危険である
        
        それでも、ファイルは手元にある

危険文書を集めることには、知識欲だけでなく、所有欲もあった。

読めば何かができるかもしれない、という可能性まで保存していた。

この標本が示すもの

危険文書は、個々の違法手順より大きな構造を見せる。

  • 情報は複製されると発行者の統制から離れる
  • 文書の題名と中身と出典は別々に変化する
  • 紙の地下出版物もデジタル化によって時代を越える
  • 正しい知識、デマ、冗談、犯罪手順が同じ形式になる
  • 圧縮ファイルは個人が持ち運べる地下図書館になる
  • 保存者は、編集者であり流通者でもある
  • 「教育目的」という文言は危険性を消さない
  • アーカイブと再配布の倫理は一致しない
  • 文書を理解する能力と、文書へアクセスする能力は別である
  • 現代では、知識そのものより犯罪能力がサービス化されている

当サイトが収蔵するべきなのは、危険な手順の再現ではない。

どのような知識が危険と呼ばれ、誰が集め、どの袋へ入れ、どの経路で次の時代へ渡したのか。

その流通構造、物質感、欲望、恐怖を標本として残す。

引用と公開の境界

この標本では、次を引用対象にする。

  • 表題
  • 書誌情報
  • 目次上の章名
  • アーカイブの規模や配布形式
  • 序文・免責文のうち、手順を含まない短い部分
  • 当時の流通を示すBBS紹介文

次は引用しない。

  • 爆発物・武器・毒物の材料、分量、製造工程
  • マルウェアのソースコード、生成設定、感染・回避方法
  • サーバー侵入のコマンド、対象、脆弱性悪用手順
  • ソフトウェアやドングルの具体的解除パッチ
  • 偽造、詐欺、侵入を再現できる手順
  • 現在有効な認証情報、個人情報、非公開情報

これは文書を無かったことにするためではない。

危険文書を、再利用可能な兵器ではなく、検証可能な歴史資料として扱うための境界である。

関連標本

資料・出典